(整備中)
要約
第一章 三貴子の謎
三種の神器と三貴子、それぞれの御神体が存在する場所は互いに対応している。
しかし、ツクヨミ研究は全く盛んではない。
月の満ち欠けは、古来より生と結び付けられて語られた(例として、かぐや姫の蓬莱の薬)
世界中の神話の中で太陽と月は対になっていた。
ツクヨミに関する数少ない記述は、日本書紀の中の保食神殺し神話くらいだ。(あくまで一書)
ツクヨミの記述が少ないのは後世に改竄が行われたからだ。これができるのは時期的に桓武天皇のみである。
実際に桓武天皇は古事記や日本書紀を焚書したり、秘匿していた。
二元論で誕生した神々の中で、唐突に三元論となる三貴子。両の目と鼻、昼夜と海と、3番目の付け足しが行われたと考えられる。(スサノオが付け足された訳では無い。)
誰が月を読むのか。他者を示唆する名前。
ツクヨミを祀る神社は非常に少ない。
先代旧事本紀ではツクヨミはアマテラスと並んで伊勢にいたらしい。内宮と外宮に対応する。
道教との融合、陰陽を同時にことほぐ「太一」。
どうやら、謎は深いようだ。
第2章 三種の神器の謎
ちょっとここ自分で納得いってないんでいつか書き直したい。
三種の神器は元々ふたつであった(記紀の記録にふたつしか出てこない)。つまり、天武天皇が勾玉を増やしたと考えられる。
三種の神器の起源は古代中国の道教に基づき、天武天皇は天文遁甲(道教)に精通していたとの記録が日本書紀にある。
鏡と剣はかつて祟りをなして、天皇の元にあるのはレプリカである。天皇を護るはずの神器がなぜ祟を起こすのか。
古事記とは「被征服者であるオオクニヌシらの鎮魂の書」という説。これにより三つの書の役割分担が明確になるだろう。
十拳剣が、なぜ藤原氏の祖神である鹿島神宮にあるのか。入鹿の首をはねた剣なのかもしれない。
鹿島神宮や諏訪大社、吉備津神社といった官幣大社に見られる「北向き」は何故か。
諏訪大社の御神体はなぜ諏訪湖では無いのか?諏訪大社は、4つの社で持って諏訪湖を封印しているのか?地鎮の神タケミナカタ。
「敗者の剣 草薙剣」がもたらす祟りは被征服者の怨みと理解出来る。
つまり、剣は国津神の象徴である。
今度は天津神の象徴の鏡を見ていこう。
太陽の光を集め火をもたらす鏡。
先代旧事本紀には十種の神器が描かれる。先代旧事本紀と日本書紀にはニギハヤヒ(ニニギの兄)が天孫降臨が起こっている。この中でニギハヤヒは天磐船に乗って登場する。
ニギハヤヒを祀る籠神社にある2つの鏡が天皇の元に移動し、八咫鏡となったのではないか。「食事を司る神を、わが元に遣わせ。」
ニギハヤヒを祀る神社もこれまた少ない。
内宮の元の祭神はニギハヤヒ、外宮はツクヨミ。桓武天皇が政治のためにこれを書換えたという説。
勾玉は半分の4つが宮中に元からあったもの、残りは出雲から持ってきたもの。
そして三つの神宝が揃い、桓武天皇はこれを三種の神器と定めさせ、ツクヨミを導入することで矛盾を解決し、自身の政治的な権力を強めた。「月を読む」のは桓武天皇だったのだ。
秘匿された外宮の御神体。祟を起こしうるのはニギハヤヒとオオクニヌシの神宝の勾玉も例外ではない。