『燃えよ剣』読書感想文
あらすじ
茨垣編
武州石田村の百姓の子であり、「バラガキ(乱暴者)のトシ」と呼ばれていた土方歳三は、夜這いの際、見回りをしていた比留間道場の六車宗伯を斬ったことで、六車と同門の七里研之助に追われることになる。
出立編
土方ら試衛館の面々は、将軍家警固の名目で設立された「浪士組」に加入するため、京に向かう。しかし新徳寺にて、浪士組を献策した清川八郎は「組の真の目的は尊皇攘夷のためである」と明かされ、近藤・土方は芹沢鴨と手を組み清川暗殺へと動くことになる。
士道編
浪士組から離反した近藤・芹沢は、京都守護職にして会津藩主の松平容保の庇護の下、芹沢派2名と近藤派1名を局長とし、新撰組を発足した。しかし、芹沢派は粗暴を極め、見かねた副長土方は近藤に提案する。「士道に基づき芹沢派を斬れ」と。
威風編
芹沢を斬った土方らは、局中法度なる鉄の掟の下、新撰組の威風を京中に轟かせていく。土方はかつて逢引きを重ねた佐絵に再開し、新撰組の発展に伴って自身も変わってしまったことを知る。そんな折、京中に放火し、松平容保を暗殺するという計画を耳に入れた新撰組はこれを止めるため、池田屋に向かう。
薄明編
池田屋事件により、名実ともに最強の剣客集団となった新撰組であるが、反動で長州の倒幕運動も過激化し、また密かに王政復古を望む天才・伊東甲子太郎が新撰組に加入する。そんな中、試衛館からの仲間であった山南敬助脱走の知らせが入る。薄明の下、苦悩する沖田、決意を話す土方。時代が動こうとしている。
叛逆編
いよいよ伊東甲子太郎が新撰組簒奪のために活動を始めた。江戸出身のお雪という女に恋をする土方であったが、影ではその命が狙われていた。土方を邪魔とみた伊東は、因縁の七里研之助をけしかけ、一団を連れ御陵衛士と名乗り新撰組から離反する。天才との決戦が迫る。
暗雲編
世論は尊王に傾き、沖田は病に伏せる。そして遂に将軍・徳川慶喜によって大政奉還が為され、王政復古の大号令が掲げられた。近藤も伊東派の残党に肩を撃たれ、新撰組の指揮権を譲らざるを得なかった。それでも土方は自らの士道に従い幕府のために戦い続ける。京には、暗雲が立ち込めていた。
陽炎編
会津を筆頭とする幕軍と、薩長軍との戦が始まった。鳥羽・伏見の戦いである。降りしきる弾丸、燃える京の都。数では劣るが、西洋式の最新軍備を整えている薩長軍を相手に、土方は彼史上最大の喧嘩を挑む。
蹉跌編
鳥羽・伏見の戦いにて幕軍は敗北し、新撰組も甚大な被害を被り、士気は低い。甲州鎮撫隊と名を改めた新撰組は、甲州制圧に向かうも、敗走。流山に逃れた新撰組であったが、近藤は自らの美を説き1人敵軍へ向かう。
土方編
近藤は斬首、沖田は病死。残った土方は反薩長の長となり、新撰隊を従えて北へ向かう。敵戦艦を奪い、函館で新政府を樹立するのだ。彼の名が、日本中に響いている。
武士編
戊辰戦争も大詰めを迎えた。函館を占領した土方達は、五稜郭を本陣に最後の戦いを挑む。石田村のバラガキから、史上最後の武士となった新撰組副長土方歳三の、その剣の道の果て。
はじめに
日本史の中で特に人気な時代と言えば、戦国時代と幕末ではないかと思う。だが、自分の幕末についての知識はうろ覚えの中学社会史レベルで止まっていて、ほとんど全く知らないと言っていいレベルであり、幕末について学んでみたいという思いは常々持っていた。まずは誰かに注目して幕末期の大まかな流れを俯瞰したいと考えたのだが、人物を新政府側(維新側)から選ぶか、旧幕府軍側から選ぶかを決めないといけない。深い意図は無かったが、たまたま私の故郷は新撰組に縁があったので新撰組に白羽の矢が立ったというわけだ。司馬遼太郎先生の『燃えよ剣』は映画化もしているらしいので、小説を読んで映画も観ようと決めた。
あらすじに関しては上に書いた通りである。各章は、土方歳三にとっての大きな戦ごとでまとめ、本編中の語彙か印象的なシーンを形容する二字熟語を題として付けておいた。このような工夫は後々自分で思い出すのに役立つ。もちろん、大まかな流れは予め知っていたが、所々前印象と異なるシーンがあった。
感想
ストーリー
土方歳三(新撰組)の物語は、言わずと知れた敗者の物語である。華々しい活躍をあげるが、その最後は志を遂げることなく散っていく。同じような話は、古くはヤマトタケルの神話から源義経の物語、織田信長の活躍、第二次世界大戦での大日本帝国の隆盛など様々であり、日本人の遺伝子に刻み込まれたある種ひとつの物語の型と言えるだろう。このような物語では、後半に向かうにつれ悲壮感が増していき、最後はメロイックに主役は散る。だが、本作における土方には、最終盤に至るまでそんな様子は感じられない。彼個人としては勝っている戦いが多い故もあるのだろうが、何よりも逆境で闘志が湧く彼の「喧嘩師」としての性質が出ているためだろう。ところで、本作品の前半では土方はかなり順風満帆な人生を送っている。武士に憧れるだけの田舎出身の単なる少年が、伝説の剣客組織を作りあげ、最後の武士になっていく物語は「成り上がりもの」としても面白く、土方が今まで愛される所以なのだろう。
維新が如何に奇跡的な出来事であったか認識させられた。鳥羽・伏見の戦いで幕軍は数の上では圧倒的に薩長に勝っていたし、操舵が上手ければストーン・ウォールを奪えていたかもしれない。ともすれば、京で遠藤にすれ違っていなければ運命は変わっていたかもしれない。歴史というのは実に不思議なものであり、この感覚は淡々とした歴史の教科書ではなかなか学べないものだと思う。
ひとつ残念だったのは、斎藤一や永倉新八などか。近藤、沖田以外の隊士にもスポットを当てて欲しかった。
キャラクター
土方歳三
言わずと知れた鬼の副長。本書における主人公であり、最後の武士となった男。(史実は知らないが)『燃えよ剣』における彼の性質を列挙してみると、
1,田舎出身で、生まれついての喧嘩師
2,思想を持たず、武士道感のみで動く
3,芸術家肌
といった感じだろうか。また、どこか子供っぽいところもある人物である。新選組は彼の性質が余すところなく詰められた組織であり、副長でありながら新選組を作った男と言えるだろう。
2の要素について。彼は思想を持たない。彼が尊王や攘夷といった考えを語る機会は本当に少ない。それは彼の興味が新選組や戦いのみに向いていたからであるが、これが本作の読みやすさに繋がっていると感じた。作中でも「思想戦」とあるように、幕末は様々な思想が渦巻く混沌の時代であった。そんな中にあって、土方の価値基準はそんなところにない。そのため、彼の行動は我々現代人にもかなり理解しやすくなっている。
近藤勇
本書における近藤は、多くの新選組作品と違いなかなかに無能として描かれているように感じる。新選組が大きな組織となっていくにつれ、土方がその「作者」として芸術性を高めていくのに対して、近藤が「俗」の世界に落ちていくのが印象的。
沖田総司
土方の良き理解者。ときに狂言回しとして振る舞う。ただ、彼には「我」がないように感じる。美少年で、凄まじい技の冴えで、尚且つ病死するというのは些か要素が詰め込まれすぎている感もあるので、あえてかもしれない。もう1人の主人公は間違いなく沖田。
七里研之助
司馬遼太郎が創作した人物。彼の退場と同時に、もう1人の創作人物であるお雪が出てきたので司馬遼太郎的にこういう役は必要なのだろう。茨垣編を盛り上げる他、土方のifとしても見れる。因縁のライバルと言うには退場が早すぎる気がするが、そういうものなのだろう。
冴絵、お雪
司馬遼太郎の創作した人物。彼女たちとの恋模様を通して、土方の成長が描かれているのが新鮮。土方は基本常勝なので、「敗北して強くなる」ような描写は中々できない(鳥羽・伏見の戦いで西洋式の戦術を学ぶのが唯一)分、冴絵からお雪への「乗り換え」でこれを表現するのは面白い。
総括
この物語の教訓とはなんだろうか。「田舎者でも類まれなるセンスがあれば歴史に名を残すことが出来る」?「優れた組織の作り方」?「思想がなければどんなに才能ある人物であっても負ける」?読めばどちらも違うとわかるだろう。
この問い自体が引っ掛け問題である。我々は、本書を通じて「土方歳三」という男が日本の歴史上に居たということを認識すればそれで良いのだ。各人の心の中にいるその「武士」の姿は、私たちが日常を生きていく上で、何らかの活力を与えてくれるのだと、私は感じる。