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菊池寛『我鬼』 読書感想文

あらすじ

電車内に立っている老婆に席を譲らない男に憤慨し、心の中で非難して道徳的優位を感じる彼(≒作者)であったが、しばらくして席が空くと老婆のことを忘れ、自分が先に座ろうとしてしまう。彼は恥入り、「人間は注意を怠ると、忽ち利己的な尻尾を出す」ような「我鬼」であると結論する。

 

背景,感想

菊池は優れたテーマ小説を発表し、私小説を「想像力と構想力を欠く」として批判したが、彼自身も「啓吉物」と呼ばれる私小説的な作品を発表していた。
この背景には啓吉物自体の変化が挙げられる。彼は当初から「小説は作者の報告書である」といった思想を持っていた。

また、彼は志賀直哉に憧れ、主人公に作者を投影しつつ、作者自身の道徳的輝きから描かれる人道主義的、人間主義的な作品を書き上げようと考えていた。
前期啓吉物は、自身の近辺にあった出来事を題材にエゴイズムや人間性、道徳について描かれたが、小説需要による多忙化や、社会の発見(後述)から、自身にまつわる出来事を淡々と書くといった様に、啓吉物の私小説化が進行していった。
この変化の背景にあった「社会の発見」とは、ある時期多くの知識人たちが資本主義の問題点に次々と気がついた出来事をさす。これにより菊池は、様々な出来事を自身の道徳的問題に帰するこれまでの手法に限界を感じるようになった。

このように読むと、「我鬼」は菊池の自戒という私小説的一面と、一方でエゴや道徳への深い洞察というテーマ小説的一面を合わせた「啓吉物」の代表のように思えてならない。

また、私小説の魅力は、作者が実際に経験した事実に基づくが故のリアリティと、そこに実在した作者への親近感を感じる点である。「率先して列車の中央に進む時の道徳的優越感」や、「席を譲るかどうかの葛藤」は現代人も1度は感じるだろう。令和時代の状況や感情が、大正時代の文豪と共通するというのは、非常に面白い。

 

人間はエゴとともにあり、道徳的輝きのためには絶えず注意しなければならない。