チベスナノート

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内田樹『無作法と批評性』の個人的まとめ

要約

ある政党の議員の非常識さが話題になっている。無作法であることは批評性の表現とみなされ、利益をもたらしているが、無作法である人間の主張は正しいとは限らない。現代日本人は無作法と批評性を混同せず、「批評的でありながら礼儀正しい語り口」を身につけるべきだ。 

 

単語

瀰漫(ビマン)…思想や意見が広がり蔓延ること

 寸鉄人を刺す…短く鋭い言葉で人の急所をつくたとえ

快刀乱麻を断つ…もつれた事柄を物の見事に解決する

陶冶(トウヤ)…もって生まれた性質や才能を、円満に育てあげること。 育成すること

息の長い…長時間に渡って勢いの衰えない

 

 

留めておきたいフレーズ

  • 「無作法であること」がそうでないよりも多くの利益をもたらすという経験則は、(中略)今や日本社会全体に瀰漫している
  • 「無作法であること」はどうやら鋭い批評性の表現と見なされているらしい
  • 「無作法にふるまっている人間は正しいからそうしているのである」という推論は間違っている。
  • 過剰に無作法にふるまっている人間は自分の言い分が論理的には破綻を抱え込んでいることを実は知っている。だから、それを見抜かれぬために(中略)怒号を張り上げるのである。
  • 「無作法」と「批評性」を混同しないで欲しい
  • 長く生きているうちに、無作法の強度と言明の真理性の間には相関がないということがわかってきた。
  • 「批評的でありながらも礼儀正しい語り口」というものがこの世には存在する
  • できればそう言う「語り口」を身につけて欲しいと思う
  • まだ自己陶冶のための時間は十分に残されているのだから。
  • 複雑なことを言うためにはそれなりの知的肺活量が必要だ
  • 礼儀正しい人間であることが出来ないのなら、私は生きるに値しない

 

感想

SNS社会では、批評性と無作法さを混同した人をよく見ると感じる。俗に言う「レスバ」では、相手の意見を吟味もせずに、言葉尻のみをとらえた的はずれな反論が頻繁に見られる。今流行りの「論破」も、相手への礼儀を欠いているという意見もある。戒めが必要だろう。

本文中では「無作法」のみが取り上げられていたが、より一般化するならば、「議論の場において、何が本質か」を見極めることだと思う。議論では、その内容が正当かどうかのみが重要だ。そこに、それ以外の要素が混じることは望ましくない。「主題を見極めること」は我々が習得すべき技能だ。幸いにも、『まだ自己陶冶のための時間は十分に残されている』。

 

強い言葉を使うな、弱く見えるぞ

戸矢学『スサノヲの正体 ヤマトに祟る荒ぶる神』の個人的まとめ

前書き 最大最強の神・スサノヲ

祇園神社の大祭より、スサノヲ(=牛頭大王)は怨霊神とわかる。一方で、スサノヲはとても英雄的な神話もある。この正体を追っていきたい。

第1章【高天原編】異端児として生まれたスサノヲ

スサノヲが高天原に向かう姿は、まさしく荒ぶる神だ。(余談…アマテラスとスサノヲは誓約で神代七代に判断を仰いだのではないか?)スサノヲは高天原を追放された。これは比較的軽い罰だ。スサノヲは一体何処に追放されるのか?

大祓に書かれる天津罪と国津罪は、太陽信仰のヤマトにとって禁忌であった。スサノヲはこれを破った「非大和的」存在だ。出雲建国は、スサノヲの原罪から始まっている。

スサノヲには、いくつもの特異性がある。追放される(失楽園)というのは、どうも日本人らしからぬ罰だし、髭と爪を切られるのも珍しい。スサノヲ神話はどことなく西洋の神話とも似ている。スサノヲは元から高天原の住人ではなかった。スサノヲ神話が出雲風土記にないことから(スサノヲは出雲大社に祀られていない。)、彼が原罪を背負ったのはヤマトによる意思だろう。スサノヲは黄泉の国には結局行かなかった。これは別のエピソードを挿入したための齟齬だ。祭りの元は岩戸開きだ。「アマテラスの怒り」を鎮め、「暗黒の世界という祟り」を治めるためだ。

スサノオの原罪は、社会的に必要だったのだ。

 

 

第2章【京都編】怨霊神となったスサノヲ

第3章

第4章

第5章

田中英道「荒ぶる神、スサノオ」の個人的まとめ

(整備中)

要約

 

スサノオはなぜ荒ぶるのか

スサノオのあり方は、温厚な日本人的ではない。

レヴィ・ストロース「日本神話は、歴史と融合している」

新井白石「神は人なり」

スサノオ神話を、『人の歴史』 に書き直すのが目的だ。

 

 

第一章 異質な存在、スサノオの正体

スサノオは朝鮮ではなく西方に由来を持つ外来の神様だ。

(夜の世界、<夜の食国>)

スサノオが鼻を清めた時に生まれたというのは、日本書紀では異伝である。

善神のアマテラス、ツクヨミに対比されて語られる悪神スサノオ

日本書紀の多くの書ではスサノオイザナギから根の国に追放された。

太陽と月から考えると、スサノオは「星の神」になるはずだ。

中国の道教では、最高神「玉皇大帝」は北極星と同じ神格。

四方拝は北辰(北斗七星)を拝む行事という説もある。天皇家にも北斗信仰があるのだ。スサノオが星の神になる可能性もあっただろう。

東洋では金星は尊いものとされていた。(西洋はルシファー)

スサノオの所在や、出自はハッキリしていない。

イザナギに反抗する様子はまさしく「悪魔的な」書かれ方であり、善悪二元論の悪として語られている。これは、(どんな行動も善とされる)ほかの神々とは明らかに異なる。

つまり、日本の神ではないのではないか。

なぜスサノオイザナミを母とみなすのか。

スサノオは別の人種ではないか。スサノオは、ツクヨミとアマテラスとは別の出自ではないか。

高天原は実在した日高見国(関東から東北)の反映ではないか。

アマテラス、ツクヨミスサノオイザナギから生まれた腹違いの兄弟?スサノオの母は帰化人。

ギリシア神話と日本神話の類似から、「神話が生成される前の日本列島に、ギリシア神話を知る者がやってきていた」という現実が推測できる。

第二章 スサノオはどこから来たのか

スサノオの「スサ」とは何だろうか。この言葉の分析は日本語や漢語朝鮮語といった近隣諸国の言葉だけを用いても無意味だ。

人物埴輪には、ユダヤ人と思わしきものが幾つかある。ユダヤ人は日本人に非常に早く同化していたのだ。

スサ=素戔=建国の基となる残りの者=イスラエルから逃れてきた残りの民

イスラエルの民にとって、「残りの民」は極めて重要な概念であり、神話の中に含まれてもおかしくない。

スサノオの名をヘブライ語で解釈する。

「スサ」…海カモメ、チャリオット、とても素早いの意

「ノハァ」…新たな土地を得る、安息の地にたどり着く

スサノオとイザヤの子の間に関連がある可能性)

ツクヨミは「岩なる神の救いが成し遂げられる」)

記紀神話と聖書は対応するかもしれない。

旧約聖書には「みずら」への言及がある。これはスサノオクシナダを櫛に変えて自らのみずらに挿したことと繋がる。また、アマテラスも高天原に向かうスサノオに対し、みずらを結って対処しようとする。

シルクロード付近にみずらの痕跡が多いのもその証拠だ。

秦氏ユダヤ人だと考えられる。

第三章 スサノオが乱暴狼藉を働く理由

第四章 神々の計画

第五章 天の香具山の秘密

第六章 なぜヤマタノオロチを倒すのか

第七章 「牛頭大王」となったスサノオ

内田樹「勇気について」の個人的まとめ

論理展開

論理展開を纏めます。

 

 

今の日本人には勇気が足りない。

昔は勇気を持つべしと刷り込まれてきた。

勇気とは孤立を恐れないことである。勇気重視は戦前戦中で大勢に流されたことで、亡国の危機を招いた反省によるものだ。

一方、ジャンプは友情・努力・勝利を基本にする。

友情は周りからの理解を必要とする点で、孤立の勇気と相性が悪い。

かつての「勇気・正直・親切」は何かを達成する手段ではない。一方で、「友情・努力」は勝利のための手段だ。

心と直感を信じ、周りから孤立する「勇気」こそ、必要なのだ。

 

 

所感

難解な語句もないけれど、モヤモヤする。

わかりやすいようで、すごく難しい気がする。

(この文章には、何故「勇気」が必要か、つまり、勇気が成功を招くのかどうかということについての言及はない。友情は勝利という結果を招くのに、だ。これは勇気・正直・親切が何かを達成する手段ではないという部分に通じているのだろう。)

 

そんなに難しい話でもないのかも。「勝利したかどうか」が基本価値となってしまった現代に、疑問を投げかけているのかも。結果よりも過程を重視すべき。

人間の自由意志を尊重するってだけなのか。

 

 

でも、孤立する勇気はいい面ばかりじゃない。陰謀論は周囲からの孤立を勇気と呼び、伝播していくのかもしれない。

 

 

追記…勇気と友情は互いに対立する概念だから、一方が流行れば必ず揺り戻しが来る。どこかで調和が必要なのかも

 

追記2…そう言えばジョジョはジャンプで連載されてたのに勝利そのものより「意思」を優先してましたね。凄い

 

 

ん、こういう風にまとめておこうかな。

 

君の価値は、周りの評価や未来の功績なんかじゃ定められない

池上彰「わかりやすく<伝える>技術」の個人的まとめ

はじめに

わかりやすく伝える技術は必須スキルだ。

第1章 まず「話の地図」を相手に示そう

「リード」を活用すべき。書こうとすることで内容がまとまります。

予定所要時間を伝えることも忘れずに。

内容の形を考えよ。ニュース原稿は逆三角、コラムは起承転結の四角形。

見える化」のセオリーを知ろう。

  • 箇条書き(発表メモ)↔リード
  • まず要素をポストイットなんかに書き出してみる。そして並べ替える。
  • 話して「見える化」する。

見える化したら階層化を考えましょう。そしてリードを再確認。これを繰り返す。

第2章 相手のことを考えるということ

相手が誰かを考えて、レベルを合わせよ

どう伝えたら、「相手はわかりやすいか」を意識!

視覚と聴覚のコラボレーションを使え。

貴方ならではを活用しなさい。

第3章 わかりやすい図解とはなにか

原稿を書いた人と視聴者の橋渡しが自分だと思え。

自分がわからないことは視聴者もわからない。初めての視聴者としてわかりやすく直すこと。

短文を重ねよ。論理関係の化けの皮が剥がれるから。接続詞もなるべく使うな。

図解を活用しなさい。聞き手の「無意識」を尊重すべし。聞き手に現在位置を意識させる図解、内容を。

専門用語を意識せずに使っていないか?

『「バカには分からないような原稿を書けない」バカ』になるな。

自分が本当によく知っていないと、わかりやすく説明できない。逆もまた然り。

第4章 図解してから原稿を書き直す

ノイズを除去して要点だけを模型にしてみよう

先の要素というノイズを隠して見る

模型を活かした原稿に書き換えよ

原稿→パワポ(板書案)→原稿書き直し

板書には要点だけをまとめよ。文字ばかりのノートは後で配れ。ひと目でわかるように。

これは対象化でもある。

原稿では伝わらない!メモだけで良い。

メモは要素だけ並べよ。

 

 

流れ

  1. まず、ざっと話したい要素を書き出す。
  2. リードを作る。
  3. 目次を作る。
  4. 1回書いてみる。
  5. 図解を考える。
  6. パワポを作る。
  7. 原稿をパワポに沿って書き直す。
  8. 箇条書きのメモにする。

 

 

コラム3

矢印の使い方をピンからキリまで

因果の矢印

時間経過の矢印

移動の矢印

を区別せよ

戸矢 学「ツクヨミ 秘された神」の個人的まとめ

(整備中)

要約

第一章 三貴子の謎

三種の神器三貴子、それぞれの御神体が存在する場所は互いに対応している。

しかし、ツクヨミ研究は全く盛んではない。

月の満ち欠けは、古来より生と結び付けられて語られた(例として、かぐや姫の蓬莱の薬)

世界中の神話の中で太陽と月は対になっていた。

ツクヨミに関する数少ない記述は、日本書紀の中の保食神殺し神話くらいだ。(あくまで一書)

ツクヨミ万葉集にも少し記載がある。

ツクヨミの記述が少ないのは後世に改竄が行われたからだ。これができるのは時期的に桓武天皇のみである。

実際に桓武天皇古事記日本書紀焚書したり、秘匿していた。

二元論で誕生した神々の中で、唐突に三元論となる三貴子。両の目と鼻、昼夜と海と、3番目の付け足しが行われたと考えられる。(スサノオが付け足された訳では無い。)

誰が月を読むのか。他者を示唆する名前。

ツクヨミ女神説、アマテラス男神説。

ツクヨミを祀る神社は非常に少ない。

先代旧事本紀ではツクヨミはアマテラスと並んで伊勢にいたらしい。内宮と外宮に対応する。

道教との融合、陰陽を同時にことほぐ「太一」。

どうやら、謎は深いようだ。

 

第2章 三種の神器の謎

ちょっとここ自分で納得いってないんでいつか書き直したい。

三種の神器は元々ふたつであった(記紀の記録にふたつしか出てこない)。つまり、天武天皇が勾玉を増やしたと考えられる。

三種の神器の起源は古代中国の道教に基づき、天武天皇は天文遁甲(道教)に精通していたとの記録が日本書紀にある。

八尺瓊勾玉八咫鏡の八は大きなという意味)

鏡と剣はかつて祟りをなして、天皇の元にあるのはレプリカである。天皇を護るはずの神器がなぜ祟を起こすのか。

古事記とは「被征服者であるオオクニヌシらの鎮魂の書」という説。これにより三つの書の役割分担が明確になるだろう。

十拳剣が、なぜ藤原氏の祖神である鹿島神宮にあるのか。入鹿の首をはねた剣なのかもしれない。

鹿島神宮諏訪大社吉備津神社といった官幣大社に見られる「北向き」は何故か。

諏訪大社御神体はなぜ諏訪湖では無いのか?諏訪大社は、4つの社で持って諏訪湖を封印しているのか?地鎮の神タケミナカタ

「敗者の剣 草薙剣」がもたらす祟りは被征服者の怨みと理解出来る。

つまり、剣は国津神の象徴である。

今度は天津神の象徴の鏡を見ていこう。

太陽の光を集め火をもたらす鏡。

先代旧事本紀には十種の神器が描かれる。先代旧事本紀日本書紀にはニギハヤヒ(ニニギの兄)が天孫降臨が起こっている。この中でニギハヤヒは天磐船に乗って登場する。

ニギハヤヒを祀る籠神社にある2つの鏡が天皇の元に移動し、八咫鏡となったのではないか。「食事を司る神を、わが元に遣わせ。」

ニギハヤヒを祀る神社もこれまた少ない。

内宮の元の祭神はニギハヤヒ、外宮はツクヨミ桓武天皇が政治のためにこれを書換えたという説。

勾玉は半分の4つが宮中に元からあったもの、残りは出雲から持ってきたもの。

そして三つの神宝が揃い、桓武天皇はこれを三種の神器と定めさせ、ツクヨミを導入することで矛盾を解決し、自身の政治的な権力を強めた。「月を読む」のは桓武天皇だったのだ。

秘匿された外宮の御神体。祟を起こしうるのはニギハヤヒオオクニヌシの神宝の勾玉も例外ではない。

 

第三章 天武天皇の謎

第四章 陰陽道の謎

第五章 桓武天皇の謎